地震

2016年05月04日

震災の地「阿蘇」へ。


熊本・大分の大地震。
一回目の揺れの時、親しい友人とお店で飲んでいた。
すると、店中にいた人の携帯から、あの「緊急地震速報」の音がなりまくった。
あの「ビュゥビュゥビュゥ」ってやつだ。

店内は、一瞬静まり返った。
そして、数秒後、かなり長く強い揺れが、本当に 襲ってきた。

その後も、あの「忌まわしい音」が鳴るたびに、
感じるようになったことが一つある。
「かつて、こんなに精神を打ちのめす音はない」と。

そして、なぜか?を考えたのだが、
僕としての結論はこうだ。

これほどまでに、
「確実に悪いことが起こる!」という事前通告
今までの人生で受けた経験が、僕らになかったから。


人間、予言だ占いだと、未来の話をされることはたくさんある。
「ノストラダムスの大予言」など、世界が破滅するかも!
っていうとんでもない予言だった(事実1999年も無事すぎた)。

しかし、よく考えると、

「間違いなく、良くないことが起こることが、ほぼ100%の警告」
「数秒後に、揺れがくる、ちょっとかもしれないけど、下手すると、自分の家も崩壊するような、超巨大な揺れかもしれない!」


という、数秒後レベルでの「恐怖新聞」の現代版だ。

だから、本能的に精神の耐性が、そうそうできるわけがない。
もう、聞きたくない・・・・



そんな、ブログを書いている間も、
避難生活を続けている方々はたくさんいらっしゃる。

僕の奥さんの実家は、熊本県荒尾市であり、
僕の前職は、熊本県の(三井)グリーンランド株式会社だ。
20代のころは、デートもキャンプもドライブもバイクのツーリングも、全部「阿蘇」だった。そのくらい想いはあった。熊本に住む親戚から、無事だけど「熟睡したいから」ホテルをとれないか?と相談を受けて手配した。彼らは、ホテルに10泊くらいして、やっと自宅に戻っていった。

高島市長が、大名小学校で「with the 九州」の旗印の元、迅速な支援物資の募集を展開したことに、拍手を送り、路上の義援金箱にお金を入れたりしていたが、自らが出向いて、ボランティアをやるというのは、「自分として」は何か中途半端な気がしていた。 
「興味本位な自分」がいることも否定できなかったからだ。
いや。1日でも半日でも、現場に入って、荷物の一つでも持った人は、本当に尊敬します。
けど、僕としては・・・ということで理解してください。


そこへ、GW前に、熱い先輩:一ノ瀬勇氏から連絡があった。

「友人を助けてくれないか?」

ご両親は既に亡く(震災ではなく)、息子さんも住んでいない「無人」の家。 
家財道具も、家具もそのままの古い家だが、
震災で、思いっきり傾き、もう壊すしかない。

そのために、家の中のものを全部出さねばならないが、
元旅館で、荷物が膨大にあるので、

「手伝って欲しい」と。

何か呼ばれた気がした。
場所は、これまた幾度も足を運んだ「阿蘇神社」のすぐそばだという。
個人的に、世話になってる先輩の知人の「人助け」に行く。

そういう風に考えると、自分と折り合いがついた気がして、行くことにしたのだった。


5月3日(祝)。
午前5:00に、男3人で福岡を出た。
午前9:00の集合だったが、全く渋滞もなく、午前8:00前に着いた。

現場は、阿蘇神社の本当に目と鼻の先で、我々は、意を決して阿蘇神社に行った。

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大げさではなく、目に涙がたまった。
偉大な神様が、片膝をついて、苦しんでいるように見えた。

もう、工事養生壁が建てられ、
中は良く見えないが、あの楼閣から、拝殿までぐちゃぐちゃだった。

灯篭や、柵も倒れまくっている中、横風に強い雨が混じる。


我々は、やばいですね・・・
とか、本当にうすっぺらい言葉しか出ないくらい、現実を突きつけられた。


そして、今日の現場へ。
我々は、現場について愕然とした。

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奥のクリーム色の建物が「垂直」である。
これは、カメラが広角とかになっているのではなく
このままの実感地で、道路から見て奥に大きく傾いているのだ。

この、長らく誰も住んでいない、何十年も前に廃業した、古い「旅館」の中に、そのままに残されていた「布団」「着物」「食器」「本」「生活雑貨」などを、、3つの部屋に集約する作業をしたのだった。

実感したことは、

傾いた建物中は、感覚をおかしくするということだ。

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この写真の上部手前の、横の柱が「水平(のはず)」だ。
家全体が、左下へと落ち込もうとしているのがわかる。

後、いかん部屋は、一階奥の台所だった。

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勝手口のドアが、「ムンクの叫び」のイメージで、完全に押しつぶされていた。

いや、

「押しつぶされて、いっていた(進行形)。」

僕らは、この建物に、6時間弱いたが、
劇的に傾いていっているのがわかった。
たぶん、いつかは、奥にグチャって行く予感ばりばりだった。

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ちなみに、こういう現場には、正式なボランティアの方は、入れないので、ご安心ください。今回、我々は、友人の仲間として参加しているので。



「もう一度、同じこと、がんばってくれ!」
と言われたら、ちょっと、もう、できないというような作業の連続でした。

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我々が集積した、この家一軒分の「震災ゴミ」は、8畳の部屋3つが、「空間」もろとも、パンパンになるほどの量でした。
そして、地元業者の方に聞いたら、こんな感じの家が、マスコミ発表で「10000棟以上」。実感値としては、18000軒くらいはあると思うとのこと。


もちろん、行き帰りの道中でも、
完全に崩壊している家が何棟もありました。

激しい風と雨。
いたるところが行き止まりで、Uターン。
おまけに、視界10メートルほどの深い霧を車で帰りました。

しかし、コンビニは、意地でも営業をしている。
がんばろう!と自分たちで書いた貼り紙がある。
そして、自分たちの作業が、ものすごく感謝される。

「自分ができることを」という言葉があります。

そして、もっともっと深くかかわって支援されている方の、ものすごい重いお言葉もたくさん目にしてきたので、僕なんかが、何か軽く書けません。

ただ、僕のこの体験を、ブログで読んだ皆様が、今、どう感じていらっしゃるかですが、僕は思い切って行ってよかったと思っています。 
こうして、数千人の方に、現状を伝える。これだけでも自分の役割だと思えたから。

大袈裟に報道されすぎて、もう「九州もやばい。だめだ。」と言われたくはない。
しかし、本当に「もう、だめだ・・・」と思っている人もまだまだいらっしゃる以上、支援のためにも、出来事を風化させるには、まだ早い。

大切なのは、ちゃんと、忘れないことだと想いました。






cromagnon69 at 22:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)
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